父は母と別れて、大分県日田市で一人暮らしをしていたが、1月27日、風呂場で倒れている所を発見された。74歳だった。
僕が生きていたこれまでに、父の存在を意識した事はほとんどない。
雪の降る中、姉と二人で父の葬儀に参列した。初めて会う父方親族。叔父、叔母、伯母夫婦など6名。いわゆる親戚だが、どうしても実感が湧かない。何となく距離を感じつつ過ごす。精進揚げ、葬式、火葬と事が進む。いわゆる家族葬。身内だけでひっそりと終えた。
最後に、親戚の一人に、父が生活していたアパートに案内してもらった。家賃3万円。日田駅から程近い場所にある、見た目はよくある安アパートだった。部屋の中は、タバコの脂で茶色く、いかにも男の一人暮らしといった生活振り。ターンテーブルのある壊れたステレオ、タバコ焼け跡のある畳。時々眺めていたのか、写真が何枚となく置いてあった。父が倒れていた風呂場をのぞく。救助の痕跡なのかタイルや風呂桶に救急隊のものらしき足跡を見つけた。
父に対する感情は全く湧かない。しかし、これまで全く考えてこなかった父という存在を自分の中で認識し、整理することとなった。誰かから「お父さんは?」と聞かれた時、これまでのように「父はいません。」と答えずに、さっと「父は亡くなりました。」と答れるだろう。
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