2011年4月13日水曜日

東北大震災

東北大震災が発生してから約一ヶ月が過ぎた。写真の新聞は、震災後翌日のもの。現時点で死者行方不明は3万人近いと言われている。

被災者の支援のため世界中の支援者が活動している。

自分に何が出来るか。

今のところ、職場や地域で回ってくる義援金に協力するぐらいしか出来ていない。
もうちょっと何か協力出来ないだろうか。
遠い、時間がない、資金力が無いなど何かかこつけて何もしていない気がして。

2011年3月7日月曜日

51㌢クロ!

ついに、ついにやりました。
51㌢の巨大クロをつり上げた。場所は九州北部の防波堤(秘密)
やや沖合を流していたところに、51㌢を筆頭に40㌢級2枚、35㌢2枚が釣れた。さらに40㌢のカンダイ。
まさに奇跡。しばし、この余韻に浸るとする。

2011年2月15日火曜日

父が亡くなったとの知らせが入った。
父は母と別れて、大分県日田市で一人暮らしをしていたが、1月27日、風呂場で倒れている所を発見された。74歳だった。

僕が生きていたこれまでに、父の存在を意識した事はほとんどない。

雪の降る中、姉と二人で父の葬儀に参列した。初めて会う父方親族。叔父、叔母、伯母夫婦など6名。いわゆる親戚だが、どうしても実感が湧かない。何となく距離を感じつつ過ごす。精進揚げ、葬式、火葬と事が進む。いわゆる家族葬。身内だけでひっそりと終えた。

最後に、親戚の一人に、父が生活していたアパートに案内してもらった。家賃3万円。日田駅から程近い場所にある、見た目はよくある安アパートだった。部屋の中は、タバコの脂で茶色く、いかにも男の一人暮らしといった生活振り。ターンテーブルのある壊れたステレオ、タバコ焼け跡のある畳。時々眺めていたのか、写真が何枚となく置いてあった。父が倒れていた風呂場をのぞく。救助の痕跡なのかタイルや風呂桶に救急隊のものらしき足跡を見つけた。

父に対する感情は全く湧かない。しかし、これまで全く考えてこなかった父という存在を自分の中で認識し、整理することとなった。誰かから「お父さんは?」と聞かれた時、これまでのように「父はいません。」と答えずに、さっと「父は亡くなりました。」と答れるだろう。

2011年1月23日日曜日

脇田海岸のくじら岩

冷え込みがややゆるんだものの冷たい北風が吹く中、脇田海岸に立ち寄った。「汐入の里」から裏手に入ると、きれいに歩道が整備され、海を眺めることができる。
その一角に、海から顔をのぞかせる岩々の一つから時々「しゅっ」と、あたかもクジラが潮を噴き出すかのように潮を噴き出す岩を見つけた。

「くじら岩」と勝手に命名。

岩の一部に空洞が有り、そこに波が押し寄せた際、行き場の無くなった塩水が空洞の上部にある穴から勢い良く吹き出しているようだ。もうちょい「どーん」と吹き出したら、観光地になるのかな。

2011年1月10日月曜日

ざらめ雪

2011年1月10日成人の日。朝から北九州市内はざらめ雪で覆われた。

長靴をはいて歩き回ってみると、シャーベットの上を歩いている感じ。滑る気配はない。新成人の足を考えても早くやんだ方がいい。幸いにも北九州市は昨日成人祭を終えている。他都市の方はお気をつけて。
受験シーズンのこの時期としても滑らないのは大事だ。

今日の昼、葬式が有り参列する予定なのだが、道路状態が心配になってきた。

2011年1月4日火曜日

1月2日 夜勤の合間に

ルービックキューブ。皆さんはどれだけ出来るだろうか。
正月から夜勤があり、時間の余裕が有る時にと貸してもらった。夜中、二時過ぎ、暇になったところで6面完成までの手順を示したホームページをみながら挑戦。
これで、こうして・・・ぶつぶつ独り言を言いながらくりくり回す。そして、完成!

何も見ず短時間で作る人がいるが、相当に練習し立体のイメージが出来上がっているものと思われる。自分にも出来るだろうか。